30ヵ国以上からの忘れがたい留学生たちとの交流体験談集

成功する留学の秘訣
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留学の醍醐味はさまざまな人と出会う事!

留学する目的は、単純に英語を勉強する事だけではありません。

異なる価値観や文化を持つ多種多様な人達と交わる事により、日本人だけからでは学べない考え方や、違いを尊重できる広い視野と寛大さを得られます

この目に見えないスキルが、活動の場を世界に移した時に本当に役に立つのです。

弥助も30か国以上からの留学生と交流する事で、本当にさまざまな経験をする事ができました。そして彼ら・彼女らとの思い出は今の価値観に多大な影響を与えてくれています。

この章では、弥助が過去に出会ったさまざまな留学生の中から印象的なエピソードに絞って紹介する事で、あなたも留学した時に出会うであろうさまざまな人たちに想いをはせ、ワクワクに拍車をかけてくれたら嬉しいです!

もちろん、日本にやってきた留学生との国内での交流でも人との出会いは同じ事です!

できるだけ仮名にしながらも、全部実話に基づいています。

インドネシア人のベナ

一般的に発展途上国と呼ばれる国からの留学生は、とてつもないお金持ちが多かったりします。富の分配バランスが確立されていないので一部の特権階級とその他大勢の貧困層に分離するのでしょうが、その分富裕層のリッチさは桁違いですね。

インドネシアからの笑顔がかわいいベナは、軍のお偉いさんの娘でした。

まだ十代の彼女は最初の1~2週間はシャイな感じでしたが、持ち前の明るさとフレンドリーさですぐにクラスに打ち解けました。コロコロとよく笑うムードメーカーでした。

ある日クラスのディスカッションで、留学生それぞれの母国の実家では、どこのメーカーの車に乗っているか?を発表する機会がありました。

先生の説明を受けて、「じゃあ、まずはベナから」と指名された彼女の答えは、

「え?どの車?うちには12~13台あるんですけど…」

顔を見合わせる一同が発した言葉は、”We are jealous of you.“でした。

ベトナム人のグェンとホン

語学学校時代のクラスには2人のベトナム人がいたのですが、とても対照的でした。

ハノイ出身のグェンは浅黒い肌に黒髪の、洗練されたオシャレ女子。

英語も初めから流暢で、話題も豊富な彼女は友達として最高でした。同じハノイ出身の他のクラスにいた彼女の友人達も皆似ているタイプで、ハノイってそんな感じ?って思ってました。フランス語も少しだけどって言いながら話していましたね。

彼女は結局、希望通りアート専攻で大学に進学していきました。

一方、ホーチミン出身のホンは見た目は中国人の小柄な男子。実は途中で英語についていけずに、コース変更になって進学クラスからはいなくなっちゃったんですけど、発音がペチャペチャという感じで最後まで何を言っているのか聞き取れずに終わってしまいました。

そして、このベトナム出身の二人が、まー仲悪い

一度クラスディスカッションで、ホンがグェンにベトナムの恥さらしとまで言われた時は皆固まりました。

最後まで水と油の様だった二人に言わせれば、ハノイVSホーチミンのバチバチはありがちだそうです。

マレーシア人のデルウィン

やはりマレーシアのお金持ちも桁が違いました。まだ高校生で留学生活を寮で過ごしていたマレーシア出身のデルウィンは、一人だけ部屋の作りが違うのか?と思うほど、部屋の中はエクストラで入れた家具や電化製品で溢れていました。

そしてこのデルウィンが絵にかいたような「ジャイアン」でした。

大柄で太っていて体格もそっくりで、性格もスーパーわがまま。

日本のアニメが大好きという理由で、なぜか弥助にだけは友好的でしたが、他の同年代の寮生とはしょっちゅう喧嘩していました。何度止めに入った事か…。

昼間から学校をさぼって何かやってるような奴でしたが、人懐っこい笑顔は憎めず、弥助にとってはかわいい存在でした。大人になったであろうデルウィンもあの笑顔で人を惹きつける大物になっている事を願います。

韓国人のシン

弥助の親友の一人になったシン。2歳ほど年上でしたが、今まで出会った中でも5本の指に入る真面目さとお人よしさを兼ね備えていました

父親のような包容力を持っていたがゆえ、後に韓国人留学生達が大学の中に韓国人留学生だけの内部団体を作ってしまい、初代リーダーに担ぎ出されてしまいました。この団体設立は韓国人以外の学生といらない軋轢を作ってしまう原因となるのですが、本人は常に間に挟まれて悩んでいました

韓国人は本当に結束が強く、何でもシェアし合います。それが他の留学生からすればとても排他的に見えてしまうんですね。

その内部団体の要求は、大学のカンティーン(食堂)にキムチを出してほしいとかそういう権利の主張な訳ですが、だったら他の国の留学生も自国の一品を出してほしいとなるであろう不公平さまで考慮しない面があります。

そして韓国人にはクリスチャンが多いという側面もあります。シンも敬虔な信者で常に戒律を守って暮らしていました。弥助のイタズラで禁じられているヌード写真をわざと見せられる度に、胸の前で十字を切って懺悔の祈りを捧げていたものでした。

モーリシャス人のクリス

アフリカに属するインド洋に浮かぶ美しい島、モーリシャス共和国。

インド系の住民が多いこの島国ですが、イギリスやオランダ、フランス領だった時代もあり人種のるつぼです。こうした島国がある事自体知らなかった弥助だったので、クリスと会って初めてモーリシャスの話を聞けるのが楽しかったのを覚えています。

クリスはフランス系で、見た目はいわゆる金髪白人の背の高いハンサム君でした。英語もフランス語も流暢で社交的。フォーマルなパーティでは完璧にタキシードを着こなして、誰よりも華麗に振舞おうとしていました。

そんなタイプなのでプライドが高く、モーリシャスを知らないという他の留学生に出会うと、延々と説明し続けて分かったと言うまで離さない奴でした。

フィリピン人のウィリー

弥助の親友になった一人、フィリピン出身のウィリーは、中国系のオシャレ男子でした。フィリピンでも中国系は裕福な層に属するようで、ウィリーも何不自由なく育った余裕に基づく、大らかさと親切心にあふれた奴でした。

スーツケース3つで入寮した物持ちで、本棚に本をおかずにきっちりたたんだ洋服と靴をキレイに並べて悦に入るようなタイプでした。

フィリピンのマニラがいかにカオスな街か、お金さえ持っていれば、たとえ車で人をはねても警察官に賄賂を渡せば見逃してもらえるといった特有の話を、面白おかしくたくさん聞かせてもらいました。

しかし、人に気を遣いすぎる繊細さゆえに精神的にもろく、ある他のクラスメイトとの問題で授業に出席できずに部屋で引きこもる時期が数カ月続きました

ルームメイトだった弥助は、彼をクリニックに連れて行ったり、してはいけない励ましなどの誤った対応をしたりと、海外における鬱(Depression)についてかなりの経験を有する事ができました。この経験を元にした鬱についての章もあるのでもし興味があれば是非!

カナダ人のベロ二ック

小柄で黒髪に緑の目のベロ二ックは一見、小さな魔女のようでした。カナダと言ってもケベック州の出身なので母国語はフランス語。そのため、フランス語を話せるモーリシャスのクリスとも仲良しでした。

ケベックの事など何も知らなかった弥助は、横に長いカナダが持つ地域性についても色々な話を聞けて知識が深まりました。

自分のルーツはフランス人だからと英語を話す必要性がある以外の時は、フランス語を話したがる傾向もありましたね。

英語読みの名前の発音は「ベロニカ」なので先生や他の生徒もそう呼ぶのですが、可能な限り「ノー、ベロニック」と訂正していました。

初めからその意思を尊重して「ベロニック」と呼んであげてた弥助とは仲良しで、一緒にクラブなどに行って遊んでました。

そして女の子の方が部屋が汚いという事も彼女から学びました…。

ドイツ系オージーのデビー

最もインパクトの強かった一人がこのデビー。お父さんがドイツ人で、本人は南アフリカ生まれのオーストラリア人。お父さんが国連職員で世界中を飛び回っていたそうで、もう彼女の私すごいのよアピールは学校の内外で連日行われていました。

「私のお父さんは国連職員なの」は、ほぼ全員が知っており、もう一つ誰もが知っている彼女の口癖が…

“I know. I know everything.”

英語とドイツ語を話せましたが、正直学業経験は足りず、クラスでの成績は中の下といった所。そのため、より虚勢を張る必要があったのかもしれませんが、先生からの質問への答えは半分以上トンチンカンな感じで、スマートという印象よりは痛い子という感じでした。

虚勢を張るので誤解もされ易く、何かある度に周りの子達から

“Yeah, cuz she knows everything.”

と揶揄されていました。

でも世界を股にかけた自慢話は面白かったので、素で面白く聞いていた弥助とは仲良しで何度か泣いているのを慰めてあげた事も。

彼女が言ってくれた「アジア人の事はよく知らなかったけど、いい人だったのね」っていう言葉は忘れられません。

ベロニックに並ぶ部屋の汚さも…。

ジンバブエ人のジミー

ある日、肩を組んで一緒に号泣したのが、ジンバブエ出身のジミーでした。白人のアングロサクソンだった彼は、アフリカは黒人の国と思い込んでいた弥助の誤解をといてくれた一人でした

笑顔が優しいめちゃめちゃいい奴でしたが、ある日顔に縦線がたくさん入った表情で押し黙るジミーを心配して、彼に何があったのかを問い質しました。

「昨日、俺のジンバブエにいる親友がマラリアで死んだんだ」

日本や先進国ではもはや聞かなくなったマラリアという病気ですが、ジンバブエにはマラリアの危険地帯もあるほどだそうで、親友が運悪く感染して亡くなったという訃報を受けたのでした。

もうその場にいた数名みんなで肩組んで号泣しました

他にもジンバブエのハイパーインフレの惨状をたくさん聞かせてもらい、「このタバコ一箱買うのにスーツケース一杯の札束が必要だな」という彼のジョークはどこまでが本当か分からないリアルさがありました。

今まではニューズウィーク誌の記事でしか読んでいなかったアフリカ諸国で実際に生きる人達のリアルを知れた経験でした。

結論~出会った全員との思い出が今の糧~

キレイにまとめるつもりはないのですが、やはり留学を通して出会った人達との思い出や経験は、ずっと後の人生まで大きく影響しています。

体験したのはざっとこんな感じです。

  • 世界にはまだまだ知らない事がたくさんある事
  • 人はこんなにも違うという事
  • それぞれの国の事情でここまで価値観が違うかという事
  • でも、最後は一人一人個人で判断されるという事

違う価値観を受け入れる事が当たり前となり、違いを尊重し、その上で自分をさらけ出せるようになったのは、彼ら・彼女らとの出会いのお陰です。

若い子達には、是非日本の外に出て、思い通りにいかない事や異なる常識に触れてどう感じるかを体験してほしいと思います。

きっと、人生観が変わります。

異なる価値観を知る事、受け入れる事についてシリーズでまとめた章があります。興味があれば是非!

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