手段としての英語と目的としての英語。大切なのは『想いを伝える事』

2-1. スピーキング上達基礎英語
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英語を流暢に話せても、手段を手に入れたに過ぎない。

このブログを興味を持って読んでくれているあなたは、きっと海外に出て活躍している自分を想像しているかもしれません。

いや、もう既にその第一歩を踏み出して外国に住み始めているかも? 日本にいながら一生懸命英語を勉強しているかもしれませんね。

そんな誰もが、英語を流暢に話す事を切望しているであろう中、敢えて一石を投じたいと思います。

英語のネイティブスピーカーが話すのと全く同じに「聞く+話す」が出来れば、それは流暢に話せている事になるのでしょうか?

答えはそうとも言えるし、そうとも言えない」と思っています。

言葉は流暢に流れているかもしれなくても、お互いの気持ちの流れがギクシャクしては、それが流暢なのか分からなくなってきます。

この章では、このブログの根幹である英語を話す事は手段であり、自分の想いを伝える事が目的であるという前提に基づき、『コミュニケーションにおいて英語を流暢に話すより大切な事って何だろう?』を明確にしたいと思います。

そもそもコミュニケーションとは何でしょう?

コミュニケーションを取るとは、『相手と自分が分かり合う事』と定義できないでしょうか?

それが日本人同士なら、生まれつき日本人の特質を良く知っている、改めて意識する必要が無いほど日本人としての常識や慣習が体に染みついている、そんな土台の上で日本語という共通言語で話が出来る。

これなら誤解無くパーフェクトに分かり合う事が出来…、出来…、出来ません、ね…。

それほど相手を理解する事、相手に自分を理解してもらう事は難題です。

では、只でさえ難しいコミュニケーションをたどたどしい英語で図ろうとしたら、それは難易度がより上がるのは必然ではないでしょうか?

答えは再び、そうとも言えるし、そうとも言えない、です。

つまり、自分の発音などの問題で相手が理解しにくいという意味では必然ですが、英語を母国語として話す外国人の特質や常識、慣習に精通していれば、割と分かり合えてしまうのも必然、という事です。

この後者こそが、英語を流暢に話す事よりも重要な事に繋がります。

相手を褒める

『コミュニケーションを取るイコール相手と分かり合う』が成り立つならば、まずは相手を知りましょう

具体的に一つ方法を挙げるとすると、相手を褒めあう文化を理解する、でしょう。

海外の多くの国で、相手を褒め合う事がコミュニケーションの基本にある事を見過ごす事はできません。それによって、結果が変わってしまうからです。

しかし日本人は特に慣れない部分が大きいと思います。その理由は日本には謙虚さという文化があるからです。

どっちが正しいという問題ではありません。ただ、違うという事実を知る事、そしてその違いを克服する事です。これは、真の国際人へ続く道だとも思っています。

相手を褒め合う文化を持つ国では、本当によく人を褒めます。

・まず、親が子供を褒めます。

・先生が生徒を褒めます。

・会社の同僚が褒め合います。

もし、日本で自分の子供を褒めまくっている親を見たらどう思うでしょう?きっと、恥ずかしいと感じるのではないでしょうか?

では、同じ感覚で外国人が自分の子供を褒めまくっている場面を見たらどう思うでしょうか?やはり恥ずかしいと思うのではないでしょうか?

もし「自分の子供を人前で褒める事は恥ずかしい事だよ。」とその外国人に注意したらどうでしょう?きっと「何で?」と言われるのが落ちですよね。

そして、何よりお互いを分かり合えません。

では、どうすればいいか?郷に入っては郷に従いましょう。

その土地で当たり前になっている慣習に飛び込みましょう。あなたも相手を褒めるという基本スタンスでコミュニケーションを取ればいいのです。

相手が何か親切な事をしてくれたら、

Thank you.“だけでなく”You are such a kind person!“と褒めましょう。

相手が何か仕事上で成果をあげたら、

Well done! You are excellent!“と褒めましょう。

誰かに相手を紹介する時、

She, my friend Mary, is a wonderful lady ever!“と大げさに紹介しましょう。

相手が自分の息子の自慢話をしていたら、

Yes, I know how he is smart and nice!“と同調しましょう。

あるイタリア人の友人に日本語に「愚妻」「愚息」という言葉がある事を教えていた時、最後まで身内を悪く言う言葉の存在を理解できませんでした。

謙虚さという文化を説明しても、それがリンクする事はありませんでした。

挙句の果てには、”Such an ugly word!“まで言ってましたから。まぁ理解できませんでした。

ユーモアと共に生きる

こんな場面を想像してみて下さい。

あなたはビジネス上の相手に、コロナウイルスの感染拡大が悪化していく実情について情報を提供しています。

世の中に不安が蔓延した結果、トイレットペーパーなどの供給不足の現状を伝える為に、実際のスーパーの棚がすっからかんになっている様子を写真に撮って相手に送ります。

しかし、SNSでそういうカランとした何も置かれていない棚の画像をポストして、それを多くの人が見た場合どう思うでしょう?

人々の不安感を煽りパニックを助長する結果になるという心理学上の懸念がある事と同様に、ネガティブなだけの情報を送ってしまうと、相手の心理に負の要素を残してしまう可能性があります。

その負荷を回避する為に、それら空っぽの棚ばかりを写した写真に加えて、かわいいパンダの写真を最後に添付し、「このパンダがのかわいさに免じて、誰かトイレットペーパーくれないかなぁ」とキャプションをつけてみます。

日本でそうしたら結果はどうでしょう?

ビジネスの場でふざけるのは不謹慎だと捉えられてスルーされるのが落ちでしょう。

もしくは、はっきり必要ない物を送らないようにと怒られるでしょうか?

では、海外の国々で同じことをしたらどうでしょう?弥助はその答えを知っています。何故ならこれまでジョークをメールに紛れ込ます様な事を散々やってきたからです。

相手から何が返ってくるか?大抵は叱責や無視ではなく、ある言葉と共に称賛が返ってきます。

You made my day!“と。

これは、敢えて訳せば「今日一で面白かった!」といった意味です。日常的によく聞かれる表現です。

ビジネスの場では当然、会社名も肩書も重要なものです。海外であってもそれは同じです。

しかし、それでも重要なのは、より人間味溢れる部分です。

  • この人は本当にウイットに富んでいて面白い人だ
  • 彼と彼女と話しているといつも楽しい
  • 話題が豊富だ

肩書うんぬんではない、その人のオリジナルな人間味を人は評価するので、会話の中のジョークはとても意味のある事なのです。

学校の先生も、授業で頼りにするのは頭がよく常に正解を答えられる学生ではなく、わざとあさってな方向で面白い回答を言う学生です。

そして、そういう学生と先生はめちゃめちゃ仲良くなります!

結論 ~とは言え~

上記の二つの例のように、自分が留学・就職している国のスタイルをしっかりと観察して把握し、そこでより求められるスタイルを自分のコミュニケーションに取り入れていく事が何よりも大事な事は言い切れます。

その上で、それでも英語をいわゆる流暢に話せれば、言いたい事が伝わる確率が高まる事は間違いありません。

それもまた真です。

正しいイントネーションやリズムの上で、正しい発音記号の発生で英語を話せたら、それは鬼に金棒です。そこを軽視してお伝えする気はありません。重要です。

このブログでは、その為の記事もたくさんポストしていきたいと思いますので、お時間があればこちらも是非!

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